小田上飛鳥の作品集

キリンが描かれることの意味

そもそもなぜそんなにキリンが好きなのか

 学生の頃にキリンに惹かれ始めてから、すっかりキリンコレクターとなりました。

 決め手は何と言ってもあの唯一無二のフォルム。スラッとした凛々しい出で立ち、優しい眼差し、ステンドグラスのような模様。

 気が付けばキリングッズを見かける度に収集し、身の回りの小物はキリンで溢れていきました。カバンの中はほとんどがキリンでデザインされたもの。

 一度車上荒らしに遭ってサブバッグを盗まれた時、交番でお巡りさんに中身を説明するのに「キリン柄のバックに、キリンのペンケースに、キリンのポーチに、キリンのハンカチに、キリン柄のノートに…」と調書が大変なキリン祭りになったことがありました。(後日キリン柄のバックは他のキリンたちとともに隣町のコンビニに放置されているところを発見されて戻ってきました)

 身の回りのものが分かりやすくキリンにまみれているので私のキリン好きは周りのよく知るところとなり、自然といろいろなキリングッズや情報が集まってくるようになりました。

キリンを描き始めたきっかけ

 社会人になってもキリン好きは変わらずでしたが、忙しさから2年ほど制作活動から離れていた時期があります。

 その後公募展にお誘いを受けて制作を再開するのですが、いざ描こうとすると何をテーマに描くのかとても悩みました。学生の頃は人物画をメインに様々なジャンルを描いていましたが、新しい土地で初めての公募展に出品するのに、自分らしさをどう出していくべきか迷いました。

 そうして自分らしさを改めて考えた結果、「キリン」は切り離すことは出来ないのではないかと考えるようになりました。

 それまでまでキリンを描いてこなかったのは、人物をメインにした時にキリンと組み合わせるのが難しかったからです。縦に細長いキリンを画面に配置するのも苦労します。

 その公募展では手探りで描き上げた最初の年の作品で入賞し、次の年で協会賞を受賞することが出来ました。人物とキリンという世界観は当時「若さ」というフレッシュさも手伝って新鮮に映ったようでした。しかし、その関係者の方々から「これであなたはしばらくキリンよ」「これからはもっとキリンを描いて画面構成を勉強しなさい」「デッサン力が足りないのだから、人物はやめてキリン一本で描いたらどうだ」など言われます。

 ああそうか、キリンで勝負したからにはキリンで戦い続けなくてはならないのか。

 若かった私は多少のモヤモヤを抱えながらもそう納得しました。

キリンが描かれることの意味

 キリンは好きですし、キリンを描き続けるのは苦ではありません。ただ、人物を諦めることはしませんでした。描きたい根本のテーマが人間の奥深くにある心象風景だったからです。

 その後は人物とキリンを組み合わせた構図づくりに試行錯誤しながら「輻輳の森」というテーマに辿り着き、心にそっと寄り添う番人のようなキリンを描きたいと思うようになりました。

 もう一度制作活動を再開させようと決心した24歳の頃、自分がキリンの絵描きになるとは全く思っていませんでした。キリン好きからキリン画家へ、制作活動もキリンにまみれていきます。

 あれから様々な公募展やグループ展に参加させて頂く機会がありましたが、今でも「キリンが描かれることの意味」をよく聞かれます。そもそもなぜキリンなんだ、とも。

 私にとってキリンは、もはや特別な存在です。

 自分自身で自由に構成し展開していける絵画だからこそ、その特別な存在を生かして表現できるものがあるはず。

 「なぜキリンなのか」、「なぜキリンがいるのか」という問いに、描かれた画面からそれぞれがその答えを見出してもらえるよう、これからもキリンを描き続けていきます。

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